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本栖石塁

本栖石塁〔モトスセキルイ〕
本栖の城山の周辺樹海のなか、旧上九一色中学校入口付近から城山の北側までの山すそに、いつくかの溶岩の石積みが残っている。樹海内を通じる道路によって一部破壊された部分もあるが、往時はその間を中道往還が通っていたものと考えられる。
これらの石塁は、武田氏時代、本栖の城山防御のための一施設として構築されたものと考えられ、戦国期この場所を通過していたと考えられる甲駿間の主幹線中道往還を取り込み、軍事的関門として、本栖の城山や中道往還と密接な関わりのうちに機能していたのではないかと考えられる。
石塁
西築石

アクセス

観光施設・活動のジャンル

施設情報
ペット同伴:不可

利用料金等

その他

備考1

本栖にはそれ以外にも石塁がある。その石塁は、昭和62年頃発見された集落東側の富士山側に位置する。旧上九一色中学校の国道側入口から道路を挟んだ南側樹海内である。長さ2kmに及ぶ長大な石積みで、手を加えない溶岩を幅約1m、高さ2mほどに積み上げた石塁である。
この石塁の性格を巡っては、①石塁のあるい一が本栖の城山に近い、②石垣の線が1ヶ所クランク状に屈曲し城の石垣ラインと類似する、③富士山側が急傾斜し本栖集落側が緩傾斜である、などを根拠として、「国境防備説」「獣よけ説」「溶岩止め説」が出され議論を呼んでいるが、いまだに決着はついていない。
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